同人女のぼやき

腐女子やめられない

2次創作小説は心の救済

宗教じみたタイトルになってしまった。

まあ二次創作ってCP問題やらが宗派に例えられたり、妄想を強めの幻覚とかでかい表現するから、あながち間違ってない、はず。

分かった。

人の解釈違いとかが創作の原動力になる、というのを以前書いたけれど、元々、公式ストーリーに関しても私は創作欲を掻き立てられる事が多い。

それがプラスの感情、マイナスの感情であろうと気持ちが昂れば小説にしてしまう


例えばの話として、

美人のヒロインですごくモテる→しかし彼女は男に興味がないが、理由は公式で詳しく描写はされていない→彼女がそうなったのはなぜか?

その時明かされている公式の設定を洗い出し、そこから妄想ストーリーを構築していくのがとても面白い。


Twitterをしているとして、「〇〇ちゃんはモテるのにどうして〜」とか自分の言葉で呟くと、とても気持ち悪い。

だから妄想という名の考察ぶったものを小説の形にし、文をキャラクターの口調や性格にできる限り似せて、気持ちを代弁させる。

これが、作品を通して受けた自分の気持ちを落ち着かせるために必要な行為になっている。

更に例を挙げると、AというキャラがいつもBを小馬鹿にした態度をとる。のがお馴染みの設定となっている場合、シナリオの中で酷い弄りが定番化する→シナリオのマンネリを無くすためか、キャラ崩壊では?というくらい度を越すことがあったりする。


もうね、推しとか関係なく耐えられないんだよ。Aは毒舌だけど心は本当は優しい子だし、Bはおっちょこちょいだけど頑張り屋さんでAも心の奥底ではBを本気で嫌ってないのに……って、気持ちがすごくブワって溢れてくる。

公式が全てではないんだな……と、ここでなんとなく気付いた。


なぜAはこんなことをするのか、過去にあったあの台詞を考えると絶対悪気はなかったわけで。もしかしたらあのシナリオのアフターとして、こんな会話してたらいいな、……と様々な角度から分析して何とかしていい話に持っていこうとあがく。

だから小説を書いてしまう。これはあるいみ小論文か?

つまり、怒りにしろ、この話いいな、と思った幸せな気持ちもなんでも小説にして自分の気持ちを整理しているにすぎない。

Twitterをしていた頃は、このシナリオよかったー、とか、泣いた、で済ませていた。

要は上手い下手関わらず、昔から文章を打つのは苦ではなかった。

気持ちを文として語るだけでは足りなくなったから、小説になった。

多分、私はこういうことなんだろうなと思う。

……だからといって絵をサボっていい理由にはならないから、こっちはこっちで頑張りたい。